韓国の船の沈没事件は、痛々しくて、とても見てはいられないほどだった。
家族の悲痛な思い、沈没までの子供とのメールのやり取り。。。
そういうものにすぐ感情移入してしまう私
どうして助けられなかったの!と大声で叫びたい。
人は必ず死ぬ。生まれたからには、その修行(苦行)を乗り越えなければならない。。。
死というものを想像すると本当に恐ろしい。それは誰も知らないからだ。死んだもの以外、、、。
よく考えた。どんな風に死ぬのがいいだろう、と。勿論苦しまないのがいいに決まっている。
でも死ぬ時はどれも同じのように思う。
苦しいのは残されたものだけ。。。?
子供と離れて暮らして1年が経った。
子供のために料理を作って、それは結構自分の健康にも良かったように思う。
子供がいることがどんなに心の安らぎを得ていたか、離れてみてわかった。
そんな子供がいなくなったら
韓国の船に乗っていた高校生の親じゃないけど、
本当にどうなってしまうだろう。
それは、それだけ子供に依存していたということなのか。。。
自分の生きることに一生懸命になれる分、失われたものも大きいように思う。
子供は手を離れ、それは、この成長であり喜ぶべきことであり
自分の時間が100%になり、それも喜ばしいことであり
今は生徒たちに無償の愛を与え?
そして。。。?!
また物語を生み出すことに専念したいところだが。。。
死のことを書くつもりが、収拾のつかない文章になってしまった。
愛する子供に先立たれることほど、この世に悲しい出来事はないのかもしれませんね。
愛することが依存にもなっていること、当然なのかもしれないと思います。
たぶん本当なのだろうと思いますが、死の最後の瞬間には、脳内モルヒネのようなものが出て、気持ちよく死んでいくようでもあります。
収拾のつかない文章になることは、私も掲示板で何度も経験しております、アハハ。
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